良縁-その先の人生を見つめて

第6章 三十五年の歴史の重み ― 父、宮原嘉寿のこと

お見合いをビジネス化し、全国仲人連合会を立ち上げる

昭和四十年代は、高度成長期であると同時に、日本の人々の生活スタイルも、結婚に対する考え方も大きな変化を遂げた時代です。恋愛結婚の比率がお見合い結婚を上回るようになったのもそのころでした。
当時父の周辺には、叔父をはじめとして、年頃となった教え子の写真をたくさん預かっていた元学校長や、政財界の方がいました。
現在もまだ残っていますが、当時のお見合いは近所の方や親戚のボランティアで行われていて、成功すれば謝礼という形でお礼金をはらうというのが一般的でした。仲人役をしていた人たちの家に、写真館で高いお金をはらって撮影した大きなお見合い写真が積まれているのを見て、父はこれらの写真を小さくし、情報を小冊子に掲載してみんなに情報がゆきわたるようにすればいいのではないだろうかと思い付きました。時代を読みとり、新たなアイディアを得ると、それをすぐに実行に移すのが父の性格です。余裕を残したままクリーニング業には見切りをつけ、「相手を自由に選べる時代だからこそ、明るい良心的な結婚相談所が必要」という考えに、政財界や、元皇族の方など多方面からの賛同を得て、結婚相談所を組織化する事業に乗りだしました。クリーニング業時代に各家庭を回る際、「うちの息子(娘)に誰か良い人がいないかしら」とたびたび相談を受けていたこと、父自身、自分の会社の従業員の仲人をすることが多かったことも、この仕事は、いずれ世の人々に求められるようになると感じるきっかけになったようです。
もちろん親戚縁者はこぞって反対しました。そんなものに値段をつけるのはおかしい、うまくいったときはまだいいが、何かがあってその縁談が壊れてしまったら実も蓋もないじゃないかと言うのです。でも、少々へそ曲がりなところがある父は、人がやらないことを常にやろうとしていましたから、逆にビジネスチャンスだと捉え、誰もやらないなら自分がやってやろうと思ったようです。まだ結婚相談所といった概念がまったくなかった昭和四十五年、父が四十五歳のときのことでした。

元校長先生たちを仲間に、持っていた情報をデータ化し、最初は「全国結婚相談所連合会」という名前で立ち上げ、その後「全国仲人連合会」と改名しました。
改名した理由は、そのころ「結婚相談所」の名をかたって詐欺を働いた人が新聞に掲載され、その肩書きが「某結婚相談所所長」となっているのを見て、読んだ人はうちの会と関係あると思うかもしれないという危倶を父が抱いたからです。でも、「結婚相談所」ではなく「仲人」という言葉を社名に使えば、「某仲人」という表現はしませんから混同されることはありません。