良縁-その先の人生を見つめて

第3章 お見合いの常識と非常識

三十年以上の歴史のなかで変化したこと

よく「三十年以上の歴史のなかで、変化はありましたか」といった質問を受けますが、入会されてから、条件を出していただき、紹介からお見合い、ご成婚といった流れはまったく変わっていません。けれども、ライフスタイルの変化によって会員さんが相手に求める条件は少しずつ変化しています。
たとえば、男女の年齢差は、昔は男性が三歳くらい上というのが常識でしたが、今は十歳以上離れた男性を希望なさる女性もいれば、「年下でも可」という女性までさまざまです。年下でもいいと、堂々と条件にあげるようになったのは、小柳ルミ子さんなどの芸能人が年下の男性と結婚し始めたころからでしょうか。また、皇太子殿下の結婚を機に、身長にこだわる女性も少なくなったような気がします。
一方、昔は年上の女性などとんでもないといった雰囲気だった男性のなかにも、「年上の女性のほうが面倒見がよくていい」という人が、若干出てきています。年下を希望する女性にしろ、年上でも良いという男性にしろ、以前は「こう言うと恥ずかしいかな」という思いから、遠回しに遠慮した言い方で表現していたものですが、今はストレートにはっきりと何でも言える時代になっていると思います。こうした傾向は結婚生活にも反映されていて、昔はご主人にゴミを捨てさせるなんてみっともなくて恥ずかしいといった風潮でしたが、今や、ゴミ捨てはご主人の仕事という家庭は結構多いのではないでしょうか。
年齢や身長だけでなく、職業についてもそれは同じです。以前は女性は学校を卒業すると、とりあえず花嫁修業をするというのが一般的でしたが、花嫁修行という言葉そのものがすでに死語に等しくなっています。男性が求める女性も、昔は専業主婦で家のなかにいてほしいという人が多かったのですが、今は共働き希望者がけっこうたくさんいます。とりあえずいっしょに働いて、豊かな生活をおくりたいという人たちが増えているのだと思います。
ただし、不況から職場をめぐる状況もかなり厳しくなっていて、出産したあと職場復帰できる女性は限られているようです。そうしたことから、共働き希望者の男性は、求める相手の女性に教師などの公務員を希望する方が多いですね。けれども一方で、女性は結婚に対して経済的には男性に依存するという傾向にありますから、男性が女性のお財布を期待しすぎると、しっぺ返しをくらうかもしれません。
最近は、女性のレベルがたいへん高くなりました。共学の大学でも女性が占める率が高くなり、なおかつ女子大もありますから、大卒の女性の数はとても多いのです。また、女性の身長も高くなっていますから、なかなか女性が望む男性に出会えないというのも理解できます。
独身時代、かなり高いお給料をもらっていた女性がいました。そのお嬢さんは東大を卒業したエリートと結婚し、それと同時に仕事もやめて家庭に入りました。その男性もかなり高給を得ていた人だったのですが、彼の生活費だけでは独身時代のような華やかな生活をおくるわけにいきません。結局彼女は離婚してしまったのですが、離婚したからといって、もとの就職先に戻ることもできず、仕方なく違う仕事につくことになりました。でも、以前ほどの高給を得るには至っていません。結婚によっていったん仕事をやめてしまった女性が、再就職先を見つけ、生活レベルを結婚前まで回復させるのはたいへんなことなのです。
今の日本の社会では、結婚によって生活が大きく変わるのは、まだまだ女性のほうです。女性は結婚する男性によって、極端な話、食卓にのぼる食材がステーキから挽肉になることもあるのです。ですから、私はある意味では、現在の状況で女性が相手に高望みをするのは当然だと思っています。

第4章 出会いから結婚までQ&A

お見合いにはときめきがない?

Q お見合いに来る男性は、自分で相手を見つけることができないような、さえない人が多いと聞きます。ときめきがないような気がするのですが。

A メディアの取材を受けたときなどに、「お見合いに来る男性はさえない人が多いんじゃないですか」と聞かれることがよくあります。でも、私どもの写真付きファイルをお見せするとみなさん一様に、「こんなに素敵な人がいらっしゃるのですか?」と驚かれます。
会員希望の方には、この写真付きのファイルをお見せしてから入会していただいていますから、「さえない人ばかりでは」といった心配は杞憂に終わると思います。
また私どもでは、入会されてもおそらくお見合いの申し込みがないだろうなと思われる人は、入会前に丁寧にお断りしています。お見合いさせることができないというのは、仲人さんにとっては最も避けたい、仲人としてのプライドにかかわることだからです。
さらに、仲人さんは自宅を解放して営業なさっている方が多いので、入会者を選ぶときも慎重で、信用できる方だと見定めたうえで入会していただいています。ですから、「お見合いに来る男性は、自分で相手を見つけることができないつまらない人」といった懸念は、私どもの会においてはまったくありません。
会員さんたちを見ていると、むしろ結婚してからときめきを感じ、恋愛なさる方が多いように思います。「結婚して主人に惚れ直しています」「いまだにラブラブです」、こういった年賀状をくださる方は、毎年たくさんいらっしゃいます。

子どもが入会をしぶっています。

Q なかなか結婚しない息子を入会させたいのですが、入会をしぶっています。仲人さんのお力をお借りしたいのですが……。

A 昔と違って晩婚化しているとはいえ、いつまでも独身でいるお子様たちを心配してしぶるお子さんを連れて私どもの会にいらっしゃる親御さんもいます。お子さんが納得されてから入会の手続きのために足を運んでいただくというのが基本ですが、親御さんといっしょにいらしてもまだしぶっておられるようでしたら、まずその原因をはっきりさせます。もしかすると、お付き合いしている相手がいらっしゃるのに、ご両親にはそのことを話していらっしゃらないのかもしれません。
また、親に言われて入会するのが嫌だと思っていらっしゃるのかもしれません。でも、実は私たちは、そういう方にいちばん入会していただきたいのです。
親の意見で結婚が決まってしまう人は、お相手に対しても親の目を気にされて、相手の方本人を見ようとしません。「親に言われて入会するのが嫌」という人は、自分をしっかり持っている人ですから、きちんと相手と向き合ってその人を自分で見定めようとなさいます。当会に対して疑問を持っていらっしゃるのであれば、私どものシステムなどをきちんと説明しますし、いろいろな質間にもお答えしています。でも、そこから先はやはりお子様自身の問題です。
先にも述べたように、入会後は仲人さんのところに足を運んでいただかないことには、いくらご両親が焦っても、話は前に進まないのです。ご両親の気持ちを伝え、私どものシステムについて伝えたあとは、お子様の判断にまかせることにいたしましょう。

データ中のマークについて。

Q 写真付きファイルのでーたのところに、G、S、★などのマークがついていますが、これはどういう意味でしょうか。

A 私どもの会では、情報をきちんと性格にお伝えすることを第一に考えています。そこで、その情報を一目でだけでも分かるよう、マークを付けています。
まず「G」は、大卒、または年収一千万円以上の男性を希望する「グリーン車コース」を希望している女性です。ですから、その条件にあてはまらない男性は、Gマークの付いた女性に、お見合いの申し込みをすることはできません。一方、男性に付けられたGマークは、その方が「グリーン車コース」の条件を満たしていることを表しています。
「S」は「シルバーコース」を希望なさっている方です。シルバーコースについては第五章で詳しく述べますが、高齢で再婚する方で、財産や年金保護する目的から入籍せずに同居を希望するコースです。ですから、Sマークの方にお見合いを申し込む方もまた、それを承知された上で申し込みしていただくことになります。
そして★マークは、心身になんらかの生涯をもっているけれど、生活には支障がないという方です。たとえば、腎臓の病気などで人工透析を受けているという人であれば、このマークを記載しています。

※現在はG、S、★などのマークは一切ありません。

お見合いやデートのときの支払い

Q お見合いやデートのときのお茶や食事代は、男性が払ったほうがいいのでしょうか。

A お見合いは基本的には割り勘ですが、私は男性に は「断わるんだったら割り勘、好かれたいのだったらご馳走しなさい」と言っています。断わるのであれば割り勘にしたほうが両者とも貸し惜りがなくすっきり しますが、交際したいと思うのでしたらご馳走したほうが好感度はあがります。女性にとっては男性の一つ一つの行動が、結婚生活についての情報源になりま す。交際に入ってからもいつも割り勘では、女性は男性が金銭に細かいのではと感じ、結婚後もたいして生活費をもらえないのではと、将来にも不安を覚えるか もしれません。
ただし、ご馳走してもらったときには、女性も一言「ご馳走様でした」と男性に伝えるのを忘れないようにしてください。男性にとって もまた、女性の言動は結婚後の情報源です。男性が払うのが当り前とばかり、さっさと店を出てしまうようでは、礼儀を知らないのではと思われても仕方がない と思います。

※現在は、お見合い時の飲食料金のお支払いは各自払いでと決まっています。
なお、交際に入りましてからは自由です。

お見合いをキャンセルしたとき

Q お見合いをキャンセルしてしまったときのペナルティというのはあるのでしょうか。

A キャンセルの定義は、土壇場になって断わるいわゆる「ドタキャン」のことです。お見合いの日時を決め、相手の方がその場所に行ったのに来なかったというときに派生します。ペナルティの基本は、見合い料の倍額プラス実害の費用。たとえば、大阪の方がお見合いのために東京まで足を運ばれたのならば、その交通費を払っていただきます
いい年をした大人が、そんな土壇場になってどうしてキャンセルするのだと思うでしょうが、いちばん多いのは、お見合いの申し込みをたくさんした方が、一人の人と交際を始めたとたん、他の方々と会うのが億劫になってキャンセルしてしまうというものです。
たとえば五人の人にお見合いを申し込み、三人の方から承諾の返事をいただいたときには、三人すべての方に会っていただくというのが私どもの決まりになっています。でも、そのうちの一人と最初にお見合いし、その方をとても気に入ってしまうと、後の二人のお見合い場所には行きたくなくなってキャンセルしてしまう、という人がたまにいるのです。
土壇場でのキャンセルは、相手の方にたいへん失礼なことですし、相手方の仲人さんにも迷惑をかけることになります。また複数の方とお見合いできるということは、今交際している人がほんとうに自分にふさわしいかどうかを確認する、私どものシステムならではのチャンスでもあるのです。確認なさってから、その方との交際を前にすすめても、決して遅くはないと想います。

※お見合いの日時決定後のキャンセルの場合でも紹介料5.400円はお支払いいただきます。また、お見合い相手に対するお詫び料として10,800円お支払いいただきます。別途、交通費等の負担が生じる場合もあります。ただし、不可抗力または正当な理由のある場合、相手方会員の了解が得られる場合は除きます。

三ケ月で結婚を決められるのでしょうか。

Q 交際期間の原則は三ケ月ということですが、たった三ケ月で一生の相手を決めることができるのでしょうか。

A 三ケ月の間、週に一回しか会わなかったとしても、合計十二回会えることになります。その間にどういう人かをしっかりと見ていれば、結論は自然に出ると思います。一生の買い物と言われる家やマンションは、二度か三度見ただけで買うかどうか決断を求められます。一生のパートナーを選ぶには、十分な日数ではないでしょうか。
遠距離だとそう何回も会えないのではないかと思う人もいるかもしれませんが、これも決まるときには決まってしまうものです。
最近、新潟のある女性が、埼玉の男性とお付き合いし、結婚を決めました。その女性は、地元の男性と交際していたときは「時間がない」という理由でなかなか会おうとしませんでしたし、仲人さんのところも「遠い」ということであまり通ってこなかったのですが、埼玉の男性のときには二週間に一度は必ずお互いを行き来していたようですし、仲人さんにもきちんと連絡してきたそうです。いったん相手を好きになってしまえば、結婚に向けて前に進もうとするものです。
逆に、お付き合いする期間の長さが長ければ長いほど、相手のことがよくわかってくるかと言えば、そんなことはありません。何年かけて付き合っても、ひとつ屋根の下に暮らしてみなくてはわからないことがたくさんあります。
私事ですが、私自身は一歳ちがいの女性と早年で結婚いたしました。結婚までに約二年付き合いましたが、それでも結婚したときに「この人にこんな面があったんだ」と驚くことはたくさんありました。お付き合いしている間に視界に入ることはどうしても限られます。けれども、人間として基本的なところ、つまり仕事に対してまじめに取り組んでいる人か、人に対する思いやりがあるかといったところさえおさえておけば、私どもの会員さんであればたいていは間違いないと思います。
あるとき、三ケ月たってもなかなか結婚に踏み切れない女性がいたので、どこに問題を感じているのか、仲人さんがじっくり彼女と向き合って話をしてみました。そして、さまざまな角度から彼について訊ねてみたところ、彼女が躊躇している原因が「結婚したら財布を私に預けてくれそうにない」ということにあると分かりました、そこで、どうしてそう思ったのか訊ねてみたそうです。すると、デート中に生活費の話になったとき、彼は「僕は自分で計画を立てたいほうだから、君には生活費を決めて渡すよ」と言ったというのです。「もし一日に千円くらいしか渡してもらえなかったらどうしよう」というのが彼女の唯一の懸念でした。そこで後日、仲人さんが連絡して彼本人に聞いてみたところ、彼は「実はそこまで彼女に言うつもりはなかった。最終的には彼女に財布を預けるつもりだけど、お小遣いいくらくらいくれるんだろうなあ」と答えたそうです。
三章でも述べたとおり、女性はときどき先を見すぎてしまう傾向にあり、たいしたことではないのに、それを必要以上に大きくとらえて悩んでしまいます。また、突き詰めるような言い方をしてしまうのも、女性の特徴です。相手がどう答えるかは、自分の聞き方次第だということも覚えておいてください。

お見合いというのは、自分自身を知る良い機会でもあります。
ある女性は仲人さんに「自分がわがままだから、それを受け止めてくれる人がいいのだけれど、どうやってそれを見極めればいいのか」と訊ねました。そこで仲人さんは、「三ケ月のお付き合いの間に、たまにわがままを言ってみればいいじゃない」と答えたのですが、女性は「でも、それが原因で嫌われてしまうのが怖い」と言います。でも、それで彼女を嫌ってしまうような男性であれば、結婚して生活してもうまくいくはずがありません。
お酒飲みかどうかを確かめるためには、いっしょに食事したときに相手のお酒の飲み方を見ればわかります。それと同じように、性格が合うかどうかも、自分で確かめる以外にありません。そして、そのために、三ケ月というのは十分な期間だと思います。

両親に会わせるタイミングは?

Q 両親に会わせるタイミングがわかりません。いつころ紹介するのがいいのでしょうか。

A 昔のような家同土の結婚ならいざ知らず、現代の結婚は、本人同士の気持ち次第です。ですから両親には、自分たちの結婚の意志が固まったところで会わせるのがいちばんです。でも、そのあたりのタイミングは、人によってさまざまですから、ぜひ仲人さんに相談してみてください。仲人さんは、これまでの経験からいろいろなアドバイスをしてくれると思います。
なぜ、仲人さんに相談することをすすめるかというと、これまで仲人さんに相談することなく両親に会わせてしまい、縁がこわれてしまったことが何度かあったからです。
ある男性は、仕事の都合で女性の家のすぐ近くまで来ていたこともあって、夕食をともにしようと、女性に連絡して家から出てきてもらいました。そして食後、そのままの勢いで「今日は僕の家の両親に、これから会いに行こう」と言って、男性は女性を家に連れていきました。女性は家で寛いでいたため、普段着にジーンズといったラフな格好のままでした。ところが、その格好を見て少々お酒が入っていたお父さんは「夜遅くにいきなり相手を訪ね、しかもそんな格好とは失礼だ」とそのお嬢さんにお説教を始めてしまったのです。これがもとで、そのカップルは成立しませんでした。

親を紹介する場合、男性はしばしば自分の親から紹介しようとします。でも、まず女性の親に「お付き合いさせていただいている○○というものです」とあいさつに行くのが順当です。また、人の家にお邪魔するのですから、手土産を持っていくことも常識でしょう。そのときに、何を持っていくか、どのくらいの金額のものが良いのかも重要です。「そんなことまで」と思かれるかもしれませんが、なかには一目で金額の安いものと分かるものを持っていき、「うちの娘はこんなに安く見られているのか」と思われてしまう人もいるのです。仲人さんは、親に会わせるタイミングだけでなく、そのときの服装、どんなものを手土産に持っていけばいいのかといったこともアドバイスしてくれるはずです。相手の親御さんがどんなものが好きなのか、仲人さんだったらあらかじめ彼女に聞きだしてくれることもできます。

一方、本人同土の気持ちが固まっていないうちに両親に会わせると、せっかくうまくいっていた交際がこわれてしまうこともあります。
四十五歳の初婚の女性で、大きな病院の看護婦をしている人がいました。五十代の男性との交際を始めたときに、田舎に連れていって親に紹介したそうですが、親が相手に不満だったらしく「ここまで待ったんだから、もっと良い人にしなさい」と彼女に言って、結局そのカップルは結婚には至りませんでした。
親のほうも最初は「結婚さえしてくれれば」と言っていたのが、いざとなると高望みしてしまうようです。こういったことも本人の気持ちが固まっていれば、きちんと親にも説明できるはずです。
またなかには、いまだに「嫁をもらう」といった感覚の男性側の親もいます。これも仲人さんに伝えて相談すれば、適確なアドバイスで、親の気持ちをなごませる術を教えてくれますし、「今はそういう時代ではないのですよ」と親御さんを説得してくれることと思います。

養子をとりたいのですが……。

Q 娘は一人っ子ですから養子をとりたいのですが、養子でも良いとおっしゃる方はいらっしゃるのでしょうか。

A 一人っ子が増えているご時世ですから、そういう条件を出したい気持ちもわかるのですが、結婚相談所といえども、養子を希望なさる方というのはやはりなかなかいません。ただし、養子でも構わない、または養子は無理だけど、お嬢さんのご両親と同居するのは構わないという方はいらっしゃいます。都市部の不動産価格はまだまだ高く新婚夫婦には手が出るものではありませんし、また共働きの場合、将来子どもができたときに手伝ってもらえるということから、奥さんの両親と同居する「マスオさん」状態というのは、男性にとっても都合が良いのかもしれません。
最近は一人っ子同士の結婚も増えていますから、土地を娘さんの親が提供し、息子さんの親がそこに家を建てるといった話もあるようです。
ですから、何がなんでも養子と決めつけるのではなく、できるだけ近くに住んでほしいとか、家に入らなくてもお墓の面倒をみてほしいなど、もう少しゆるやかなものであれば、ずいぶん可能性は高くなると思います。

成婚料はいつ支払うのでしょうか。

Q 成婚料はいったいいつ仲人さんにお支払いすればいいのでしょうか。

A 順調に交際が進み、お互い結婚しようとする意志が決まれば成婚となります。本人同士も幸せいっぱいですし、ご両親も喜んでいらっしゃる、そして仲人さんにとっても労が報われるいちばんうれしいときと言えるでしょう。
成婚料を払うタイミングとしては、具体的には、結婚する意志を持って親に会った後、婚約指輪を買ったとき、婚約の日取りが決まったときなどです
なお、交際している女性が自分と結婚の意志があるかどうかを確かめるときに、指輪は大きなキーポイントになります。指輪のサイズを聞かれて、女性が答えを返してくれるときは、それをもらえることを前提としています。ですから逆に言えば、かたくなに自分の指のサイズを教えない人は、あまり見込みはなさそうだと思ったほうがいいかもしれません。
相手とけんかして縁がこわれそうになったときに、指輪を贈ることで無事に結婚に至ったカップルもありました。
その男性もかなり離れた場所に住んでいる女性とお付き合いしていたのですが、あるときささいなことで意見が食い違い、それからしばらく関係がぎくしゃくしていました。でも、その男性には彼女と結婚したいという意思がありましたから、仲人さんが彼女の家を訪ねるようアドバイスしたのです。ところが、その男性はたいへん内気だったこともあり、新幹線に乗ってわざわざ彼女の家の前まで訪ねたものの、誰も出てこなかったという理由でそのまま帰ってきてしまったのです。郵便受けに伝言も残さず、留守番電話にメッセージひとつ入れずに、です。これでは誠意の伝わりようがありません。そこで、もう一度仲人さんがアドバイスし、今度は「指輪をいっしょに買いましょう」と彼女を誘い、二人で指輪を買いに行って無事結婚が決まりました。
指輪が動けば、そのカップルはたいてい結婚が決まります。女性にとって指輪は、心を決めるための大きな要素のひとつなのです。

※成婚料は会員双方で婚約の合意がなされた場合(会員双方で結婚の意思表示をした時)が基本となります。

第5章 出会えて良かった ― 全仲連で結婚された方たちの声

「たまたま仲人さんが見つけてくださった この縁は、奇跡に近いと思います」

Aさん、Bさん夫妻 結婚四年目
成婚時、Aさん四十三歳(公務員)、Bさん三十三歳(秘書業務)

Aさん(男性)は四十三歳の公務員です。比較的のんびりとした性格のためか、それまで周囲にすすめられたお見合いも断わっていましたが、そんなAさんも、さすがに四十歳を過ぎたころから、結婚について真剣に考えるようになりました。
そんなとき、以前に雑誌に掲載されて記憶の片隅に残っていた全国仲人連合会を思い出し、ホームページを検索してみました。他の結婚相談所についてもホームページで調べてみたのですが、たくさんのデータのなかから、コンピュータでマッチングする人を見つけるといった手法をとっている結婚相談所に比べ、仲人さんが間に入るという人間らしい昔ながらの方法をとっている当会が気に入って、入会を決めました。上司や知り合いに紹介してもらうのと違って、義理が生じないというのも入会の決め手になったようです。
そのAさんが入会手続きをしていたところを、たまたま別の仲人さんが訪問し、Aさんを見かけました。そしてふと、「うちにいる会員さんと会わせてみては」と思い付いたのです。

仲人さんが思い付いたお相手というのは、Bさんです。当時三十三歳で、秘書の仕事についていました。どちらかというと活発なタイプではなく、コンピュータが趣味で家のなかにいることを好む女性でした。
Bさんは、新聞の広告欄で仲人さんが家の近くで支部を開いているのを知り、入会してきました。他の結婚相談所についても調べてみたのですが、コンピュータを中心とした大手結婚相談所は、外部に情報が漏れるのではといった不安があり、一見小規模に見える当会が気に入ったというのが、入会の動機だったようです。
Bさんには、私どもの会に人会される前、近所の方々の紹介でいくつかお見合いをした経験がありました。けれども、紹介してくださる方もお相手についてあまりご存知ではないことが多く、しかも「断わってもいいのよ」と言ってくださるものの、やはりお断りすると気まずい雰囲気になって、近所づきあいにも気を使うようになります。結婚するなら、知り合いや近所の人ではなく、第三者のほうが気楽だと思っていた矢先に新聞広告を見かけたのでした。
登録されるとすぐに翌週お見合いが決まり、それからは多い日には二~三人かけもちでお見合いをしたこともありました。自分で『良縁ニュース』から選びお見合いを申し込んだり、逆に相手から申し込まれたこともありますが、仲人さんのネットワークのなかから、「この方、いかがですか」と紹介されることも結構多かったようです。Aさんに会う前に合計十人くらいの方とお見合いし、そのうち一人と交際に入りましたが、なんとなく感覚のズレを感じ、断ってしまいました。そんなころ、仲人さんに「今度Aさんに会ってみない?なんとなくあなたと合うような気がするのよ」と言われて、お見合いしてみようと思ったのです。
Aさんにとっては、Bさんが初めてのお見合いの相手でした。結婚すれば長い間いっしょに暮らしていくわけですから、Aさんは「価値観やライフスタイルが一致している人」をここで見つけれられればいいなと思っていたそうです。一方、Bさんは、「自分が自然体でいられるよう、穏やかな人」をお相手の条件にしていました。

実際にお見合いをし話をしていくうえで、二人ともまず、お互いを自分の条件に近い人だなと思ったそうです。双方ともにアウトドア派ではなかったため、交際に入ってからのデート場所は、あらかじめインターネットで調べた美術館や博物館。そして、ともに神社仏閣が好きだったこともあって、いろいろな神杜仏閣巡りをしたそうです。連絡は、二人とも電話があまり得意ではないこともあって、頻繁に電子メールのやりとりをしていました。
週に一度というペースで交際は進んでいましたが、Aさんのすばらしいところは、デートのたびごとに、Bさんに小さな花束を用意していたことです。時には、デートの待ちあわせに遅れても、「少し遅れます」という連絡を入れたうえで花を買ってきていたそうです。そんなAさんに、Bさんは当初、うれしい反面戸惑いも感じていたようです。そこでBさんは、仲人さんにそのことを相談してみました。
花を贈るようなマメなタイプには見えなかったこともあって、仲人さんはそれを聞いてとても驚いたそうです。でも、「そんな人はなかなかいないよ。世の中の女性にこのことを話したら、百%、こんな男性がいいと言うと思うよ。きっと、結婚記念日に毎年花束を贈ってくれる人じゃないかしら」とアドバイスし、Bさんも「そうかもしれない」と素直に喜ぶことにしました。

Bさんは、このように交際の途中で仲人さんに相談できる点が、結婚に至る道のりのなかでいちばんありがたかったと言います。
「相手に対して何か疑問が生じたときに、率直に仲人さんに聞くことができる点が、全仲連の良さだと思います。知り合いだと失礼でとても聞けない質問でも、ここでは“どうお考えですか”と仲人さんに率直な意見を聞くことができるのが、結婚についてあれこれ考えるうえでとても良かったですね」(Bさん)
一方Aさんも、間に入る仲人さんの存在については、交際をすすめるうえで助けになったようです。
「データに偏重していないところがいいと思います。経験豊富な仲人さんが間に入って紹介してくれますし、仲人さんからもよく連絡をとってくださいました」(Aさん)

ある日、いつものようにAさんは花束をデートのときに持ってきたものの、渡すのを忘れてそのまま持って帰ってしまいました。そのことはかえってBさんに「儀式的でなくていいな」と好印象を与えたといいます。義務として持ってきているのではなく、その日のデートをめいっぱい楽しむための演出としてプレゼントしてくれていることが感じられたからです。
これまで「なんとか自分をよく見せたい」という男性が多かったなかで、Aさんはとても誠実に感じられたとBさんは言います。
「質問をすると、いっしょうけんめい考えて答えを出そうという姿勢が感じられる人で、その場でわからなかったことは、その後いろいろと調べてきてまた教えてくれるんです。聞くと必ず答えてくれる辞書のような人ですね。それに話題が豊富で、話をしていてストレスを感じないんです。もともと同年代だと相手が背伸びしているのが見えてしまっていたので、年上の人のほうがいいと思っていましたから、年齢差は気になりませんでした。それにどこかかわいさを感じさせてくれる人だったんです。この人だったら素の自分をそのまま受け入れてくれると思いました」(Bさん)

お見合いからニケ月たったホワイトデーに、AさんはBさんにプロポーズし、二人は結婚しました。Aさんは入会して初めてお見合いした人と、わずかニケ月で、Bさんのほうは入会後四ケ月でゴールインしたことになります。

それから四年がたちますが、毎年仲人さんに年賀状を送ってくださっています。今年は「まだまだ私たちもラブラブです」と書いてあったそうです。
さて、結婚生活について、お二人は次のように話しています。
「結婚前、平和な家庭を思い描いていたのですが、まさにその通りで、とても安らげる場所です」(Aさん)
「毎日発見があって、彼は発掘しがいがあります。結婚後のほうがむしろおもしろいですね」(Bさん)
仲人さんのお宅で、たまたまもう一人の仲人さんがAさんを見て引き合わせたことが彼らの結婚に結びつきました。そしてこのことを「奇跡に近い」と、AさんBさんともに感じているそうです。

「常に仲人さんに語すことで気持ちが整理でき、結婚相手を決めることができました」

Cさん、婚約中 二十九歳(家事手伝い)

Cさんは二十九歳の家事手伝いの女性です。全国仲人連合会にはお母さんのすすめで入会されました。最初、結婚相手は自分で探すと決めていたCさんですが、身近な友達が次々と結婚していくなかで次第に焦りを感じるようになりました。三十歳が目前に迫っているということもあり、「母の希望なら、入会してもいいかな」と、自然に思うようになったと言います。また、入会後、仲人さんからもいろいろとアドバイスされることで、不安は徐々に消えていきました。

Cさんの希望は、仕事をきちんとこなす、やさしい人。一生いっしょに暮らしていく人だから、ちょっとしたことで表情や態度が変わる人ではやっていけない、マイペースな人がいいと思っていたそうです。
人会してすぐに三十七歳の会社員の方を仲人さんから紹介され、お見合いしてみました。でも、このときはまだいちばん最初のお見合いでしたし、まだまだ次があると思っていたということで、この人が結婚相手とはピンと来なかったと言います。
その後、私どもの会が主催するお見合いパーティにも出席してみました。でも、これはCさんには合わなかったようです。
「かなりたくさんの方が来られていたので、短時間で気持ちの切り替えをするのが大変でした。私は一人の方とじっくり話すタイプなので、パーティはちょっと苦手なのです。でも、短時間でたくさんの方と会いたいという人には良いシステムだと思いますよ」(Cさん)
パーティの出席者からお見合いの申し込みが何人かあり、他にも何人かと会ってみたのですが、なんとなくしっくりとはきませんでした。そうやって何人かと会っていくうち、Cさんのなかで存在が大きくなっていったのは、いちばん最初に会った人でした。人の悪口をぜったい言わず、人の気持ちがわかる人だと徐々に思うようになったのです。
「具体的に口で言うのはむずかしいのですが、雰囲気やしぐさ、私に対する態度などを総合して、この人だったら良い家庭を築けるなと思うようになったんです」(Cさん)
そう思うようになった陰には、仲人さんの努力もあったようです。
「女性は結婚となるといろいろと考えてしまいます。でもそんなときに仲人さんに話すことで、自分の心の整理をすることができました。他の結婚相談所は一度紹介したら、紹介しっぱなしと聞いていますが、全仲連では先生(仲人さん)が電話でフォローしてくださったり、気持ちを後押ししてくださいます。私が悩んでいると話を聞いてくださって、ご自分の考えを押しつけることなく、私の気持ちを尊重しながら相談にのってくださり、それがとても心強かったですね。でも先生はいつも、“最後に決断するのはあなたなのよ”とおっしゃっていました」

最初に会った男性の、Cさんに対して常に変わらない態度が安心感につながり、「やっぱりこの人かな」と、Cさんは彼と結婚することを決断しました。入会して四ケ月目、つい最近のことです。

彼女の結婚について心配なさっていたご両親も、「あなたが決めたのならきっと良い人よ」と大喜びで、お相手のお母様などは、「夢ではないかと何度もほっぺたをつねりました」とおっしゃったほどの喜びようです。
最後に今後の結婚生活に向けての夢をCさんに聞いてみました。
「明るく楽しく安定した家庭を築いていきたいですね。彼はいつも変わらずとても安定した人ですから、二人でゆっくりとこれから先についても話し合っていきたいと思っています」

「年齢を経てきた人たちは、一つ一つの出会いを大切になさいます」

Dさん、成婚時 五十五歳(当会支部長)、ご主人、六十一歳(銀行勤務)

Dさんは、現在五十六歳。実は彼女は当会の仲人さんでもあり、ここでお相手を見つけて再婚された方でもあります。
Dさんは二十一歳のときに恋愛結婚をされ、二人の息子に恵まれました。けれども、ご主人が次第に家庭内で暴力を振るうようになり、息子さんのすすめで四十歳のときに離婚されました。息子さんは高校入学を機に、「もう僕たちは大丈夫だから、お母さん心配しないで離婚して。でも、僕たちまでお母さんに付いていってしまうと、おやじがきっと見つけだしてしまうだろうから、お母さんの後を追わないよう、僕たちがおやじに付いて見守っていくよ」と言ってくれたのだそうです。
それからDさんは、ご自分でご商売をなさったりして生活しておられたのですが、ある日新聞広告をご覧になって応募され、仲人になられました。もともと人と触れ合うのが好きで、人のお世話をするのが大好きな方だったので、仲人には適任という方でした。彼女が五十三歳のときのことです。
このときはご自身が結婚するとはまったく考えておらず、むしろ、結婚はもうこりごりと感じていらっしゃったようです。でも、他の仲人さんから、「自分が幸せでなくては、会員さんを幸せにすることはできませんよ」と言われ、「結婚はまっぴら」といった考えから、「結婚してもいいかな」と考えるようになり、ついにはご自身も登録されることになりました。

現在のご主人は、そんなころにDさんの支部に入会されました。大手銀行に勤めていらっしゃる方で、間もなく定年を迎えるにあたり、残りの人生をともに過ごす伴侶を探していらっしゃったようです。やはり以前に結婚したものの離婚され、成人された子どもさんが二人いらっしゃいました。
最初は一般の会員さんと同じように、いろいろな人をご主人に紹介されていたDさんですが、ある日ご主人から「あなたとお見合いしたい」と言われました。彼はDさんが登録していらっしゃることを知っていたのです。Dさん自身も、ご主人に最初に会ったときに「もしかして、この人と結婚するかもしれない」という漠然とした予感はあったと言います。そこで、いちおう「自分が幸せでなくては」と言ってくださった仲人さんをたて、形ばかりのお見合いをしてひと月で結婚が決まりました。Dさん五十五歳、ご主人が六十一歳のときのことです。
ご主人には三十二歳の息子と二十八歳の娘。Dさんには三十二歳と三十歳の息子がいました。その子どもたちもみんな大喜び。年をとってからの一人暮らしは、もしも病に倒れてしまったときや、お風呂場で転んでそのまま動けなかったらといった不安と常に隣り合わせにあります。そういった懸念は、本人だけでなく、周囲も同じように持っていたようです。
「お父さんが一人でショボンとしているのは耐えられない。気に入った人と結婚したほうがいいよ」「Dさんが来てくださったおかげで、家のなかが一気に華やぎました」と、歓迎してくれ、Dさんの息子さんたちも「おふくろ、良かったねえ」と祝福してくれたそうです。

Dさんに結婚後の感想を聞いてみると、「いいものですね」といった答えが返ってきました。
「誰かがそばにいるというのは、いいものだと思います。きれいな花を見ても、『きれいねえ』と言うと、『そうだねえ』という答えが返ってきます。会員さんたちのお見合い場所を探すときも、主人はコンピュータができますから、『探してあげよう』と調べてくれますし、仕事のうえでもとても助かっているんです。独り暮らしのときは、食生活も“一人だからいいや”という感じで乱れていましたが、今は主人のこともありますから、健康にも気をつけるようになりましたね」
これまで、二人とも自分のリズムで生活してきたわけですから、ご主人との結婚の際には、お互い窮屈な思いをするのはやめようということで合意を得ていました。束縛しない、干渉しないという約束のもと、お二人とも現在はのびのびとした結婚生活を楽しんでいらっしゃるようです。
「恋愛結婚は、運が良ければいいけれど、悪く転べば危険だと思います。いったん好きになってしまえば『この人といっしょにいたい』という思いが先に立って、相手の本質が見えなくなってしまいます。そして結婚して熱が冷めたころに、潮が引くように相手の本質に気づくのです。でもその点、全仲連はプロフィールから入りますから、お相手の方の生活環境がわかります。ですから安心してお付き合いでき、それが恋愛に発展していくのです。離婚率が低いのは、そういう理由があるからだと思いますよ。満たされた条件で結婚するから、トラブルが少ないのです」(Dさん)

Dさんのもとには現在会員さんが十八人いらっしゃいます。一年がかりで誰もが覚えられる良い電話番号を取得され、ご自分の体験を話しながら、会員さんたちの相談にのっていらっしゃいます。でも、なにはともあれ、ご自身がここで良いお相手を見つけ、幸せになっていらっしゃるのですから、これはもうどんな会員さんをも納得させられる大きな強みです。
Dさんのところにいらっしゃる会員さんも、年齢が高い人は結婚が決まるのが早く、若い人ほどなかなか決まらないと言います。
「今は結婚適齢期なんてありませんから、皆さんのんびりしていて、女性は出産適齢期を過ぎるころになってあわてて入会される方が多いようです。ご両親も皇室の愛子さまをテレビや雑誌でご覧になっては、早くあんな孫の顔を見せてほしいとおっしゃる方が多いです。若い人は自分自身を知らない方が多いので、夢を追いがちです。でも、離婚したり年齢を重ねている人たちは自分を知っていますから、出会いを大事になさいます」
会員さんたちには、貴重な出会いから生まれる気持ちの大切さについても、折りを見ながら話しています。
「私は、どんなにピカピカの条件がそろっていても、この人と合うか合わないかは、会った瞬間にわかると思います。側にいて顔も見たくない人とは、いっしょに住みたいとは思わないでしょう。そういった気持ちは相手にも伝わります。自分が嫌だと思えば、相手も嫌だと思うものです。逆にこの人といっしょにいてもいいかなという思いもまた、相手に伝わります。そのときに、ポンと肩を押すのが仲人の仕事だと思うんです。気持ちはぜったいに相手に伝わるというのは、私自身の経験からも自信を持って言えることですね」

シルバーコースについて

※現在「シルバーコース」はありません。

私どもの会には、シルバーコースという熟年者のためのコースがあります。先にあげたDさんは、シルバー会員ではありませんでしたが、単にシルバー希望者でなかったというだけで、家族との関係、パートナーに求めることなど、熟年者の幸せな結婚についてあますことなく体現された良い例だと思います。
シルバーコースは、同居を目的とし、入籍にはこだわらない内縁婚希望者のためのコースです。死別または離婚で伴侶と別れ、後の人生を新たな伴侶とともに暮らしたいけど、遺産や財産の問題で親族や子どもたちともめたくないという人たちのために設けました。茶飲み友達や話相手ではなく、同居して生活をともにする相手を見つけるのが目的です。
もともとこのコースは、遺族年金をもらっている女性を保護する目的で、当会設立当初に父が作りました。ちょうど電車やバスにシルバーシートというものが設置されたころで、それをヒントに「シルバーコース」と名付けたものです。ですから、このコースを希望していらっしゃる会員さんのファイルには、Sというマークがついています。
夫と死別した女性は、再婚するとその年金をもらう権利がなくなってしまいます。でも、再婚した相手と何らかの理由で別れてしまうこともあるでしょう。そうなると、女性は収入の道をまったく絶たれることになります。高齢になってからのそういったリスクは避けたいという女性のために設けたものですが、最近は財産を持っている男性の利益保護といった目的も兼ねるようになりました。

「入籍にはこだわらない」会員さんたちのためのコースですが、実際には入籍するかしないかは、会員さんたち本人におまかせしています。なかには、同居して三年くらいしてから「この人にも何か残してあげたい」と男性が思うようになり、周囲も納得して籍を入れた方もいらっしゃいます。
ある八十一歳の男性が、七十三歳の女性をたいへん気に入り、ぜひうちに来てほしいということになりました。でも、男性が糖尿病を患っていたこともあって、いったん女性はこのご縁を断りました。ところが男性は、「二千万円ある預金も家も全部あなたの名義にするから、ぜひうちに来てほしい」と女性に頼み込んだのです。そして子どもたちには「お前たちはそれぞれ自分の家族を持っていて、それで手いっぱいだと思う。だから、私は自分自身のパートナーを見つけ、残りの人生をともに暮らしていきたい」と自分の気持ちを話し、子どもたちも納得してくれました。結局、その女性は男性の勢いに押されるように籍を入れ、今はたいへん幸せに暮らしています。それまで彼女は生活保護で暮らしていらっしゃったこともあって、我々仲人の間で彼女はちょっとした「シンデレラおばちゃん」として有名になりました。八十一歳の男性も、彼女と生活をともにすることでとてもお元気になられ、子どもたちもそれを見て安心したという話を聞いて「若い人たちだけでなく、人生の終盤にさしかかった人たちの幸せも作ることができるんだなあ」と、この仕事のおもしろさを改めて感じた次第です。

シルバーコースに限らず、年齢を経てきた方が若い人といちばん違うところは、入会と結婚がほとんど同時というくらい、すぐに結婚が決まることです。
以前、私どもの仲人さんになったばかりの方のところへ、六十五歳の男性が第一号の会員さんとして登録され、高齢者の例にもれず、やはり入会してすぐに結婚が決まりました。仲人にとって、結婚が決まったときほど人をお世話する喜びを感じることはありません。彼女は、仲人になったと同時に人をお世話する喜びを知ることになりました。それに勢いを得て、囲碁も会員さんをどんどん増やし、「若い人はむずかしいわね」と言いながら、若い人も年を経た人も次々に結婚させていきます。

五十代以上になれば、相手の方が住んでいらっしゃる家を見に行き、「この家に住むんだったらいいわ」ということでだいたい決まります。旅行だって、食事だって一人より二人でしたほうが楽しいに違いいありません。残りの人生を一人で過ごしたくない。やはり朝起きて、隣の人の顔を見て「ああ、今日も生きている」という実感を得たい。心の安らぎを得られる方であれば、それ以上は求めないといつた方ばかりです。

若い人のように、お相手の身長や学歴を気になさる方はほとんどいらっしゃいませんが、その代わり、思いもかけないことが生涯になったこともありました。
以前、五十四歳の女性会員さんがいらっしゃいました。二十代で結婚と離婚を経験し、以後ずっと独身を通してきた方です。彼女は猫を五匹飼っていました。ところが、この猫が障害となり、何人かとお見合いしてもなかなか決まりません。動物好きな方はたくさんいらっしゃるのですが、一、二匹ならともかく、五匹なるとそれだけで引いてしまいます。二十人くらいとお見合いしては断られ、「もうやめようかしら」と思い始めた頃、ようやく猫もいっしょに同居してもかまわないという男性が現れ、それからはトントン拍子に結婚が決まりました。
独り暮らしの長い人にとって、猫や犬はずっといっしょに暮らしてきた伴侶のようなものです。家族同然というわけですから、その家族も含めて受け入れてくださるような方を探すわけです。シルバーの方が決まるのが早いとはいえ、特殊な条件をお持ちの方は、他の方々より多少時間がかかってしまうのは仕方ないと言えるでしょう。

年齢が高い人がすべてシルバーコースを選ぶかといえば、そんなことはありません。生活が豊かとは言えない女性のなかには、妻になるわけではありませんから、シルバーコースは嫌だという人もいます。シルバーコースを希望する方は、経済的には自立した高齢者の一部の方々と言えるでしょう。
シルバー結婚でいちばん大切なことは、なんといっても子どもの了解をとっておくことです。
五十歳くらいのころに奥様を亡くされ、その後八年くらいしてから会員となられた男性がいました。家の近くにあった仲人さんの看板を見て入会されたそうですが、最初は娘さんに「何を今さら」と大反対されたそうです。けれども、その男性が根気強く説得することで娘さんの心もなごみ、最後には「お父さんが幸せになるんだったらいいよ」と言ってくれました。最近。その男性は気が合う方を見つけて交際に入ったところで、デートのときには着ていく服を娘が見立ててくれると、うれしそうに話してくれました。娘さん自身婚約者がいて、「これで心おきなくお嫁にいける」と言っているそうです。「もしかすると、父・娘のダブル結婚式となるかもしれないね」と、仲人さんと話しているところです。

おもしろいことに、私どもの会では四十代の男性はあまり人気がないのですが、五十代はたいへん人気があるのです。企業に勤めている方も多いのですが、定年までの年数はいくらもありませんから、もう出世欲というのもありません。でもまだお元気な方ばかりですから、いっしょに旅行したり、暮らしを楽しむ相手としては適任なのかもしれません。
結婚したいという人は、それだけで精神的にとても若い人たちです。そうでなくては、結婚しようなどという考えは思いつかないでしょう。私どものシルバーコースの会員さんは、皆さん自分から入会される方ですから、実年齢よりずいぶん若く見えます。お子さんたちも、最初は親御さんの再婚に抵抗があっても、心のどこかでは「誰かと暮らしてくれれば安心」と考えているようで、最終的には了承していただくことが多いですね。
現在のところシルバーコースの方は、年齢が高く財産を持った方ということで、数はまだそう多くないのですが、今後高齢者が増え、再婚する機会が増えることを考えれば、これからますます必要とされるコースではないかと思っています。

第6章 三十五年の歴史の重み ― 父、宮原嘉寿のこと

車を使ったクリーニング業を展開していた時代

全国仲人連合会の創立者、宮原嘉寿は、大正十三年に熊本県で生まれました。太平洋戦争勃発後、最後の徴収兵として戦地に赴き、終戦を迎えたのは二十一歳のとき。その後しばらくシベリアに抑留されました。
シベリアから帰還後、熊本から上京し、最初は弁護士の先生の書生となって弁護士を目指したようです。しかし、弁護士という仕事は、和解させて途中で決着がつくことが多いため、双方それぞれに妥協が求められます。結局依頼者は全面的には納得できないまま弁護士に費用を支払うことになり、父にはあまり良い職業には見えなかったようです。その後、弁護士になることをあきらめました。
当時は、田舎の中学校で校長をしていた叔父の紹介で、中学を卒業した若者が大勢、東京に集まってきました。父はそうした人たちを雇い、車上でクリーニングする仕事を思い付きます。ひと口に「クリーニング業」と言いますが、いったん父が手掛けるとなるとそれまでの「クリーニング業」の概念を一新させるような新しいアイディアを次々と思いつき、それを実現していきました。まず、車内でクリーニングできる車を大手電機メーカーと自動車製造会社とで造ってもらい、特許をとりました。そして、それに乗ってそのころたくさん建てられた団地を回って、その場ですぐにクリーニングできることを売り物に、販路を広げていきました。最初の一枚は無料で引き受け、きちんとそれを仕上げてみせると、一気にお客さんが増えたそうです。
月末集金が当り前だった時代に、回数券を思い付いたのもそのころです。当時のクリーニング業は、お米や醤油などと同じように、月末に精算する方法をとっていたのですが、お金を回収することができなくて店がうまくいかなくなるということも多々あったようです。そこで、たとえばワイシャツ十枚分の料金で、十一枚分の回数券を発券するという前金制度を考えつき、事業を拡大していきました。車に乗ってどんどん販路を広げていくわけですから、他のクリーニング店にとっては、自分の領分を侵されるのではないかといった危機感から「子どもを誘拐するぞ」といった脅しや嫌がらせなどもされたようですが、父は気にしませんでした。
現在、クリーニング店のほとんどが前金制をとっていますが、父はそれを回数券という形で先取りして始めていたというわけです。小さな道に入っていって各家庭を回っていたため、父は抜け道や路地など、どんなに小さな道でもたいへん詳しく、よく知っていました。
ところが、高度成長期が始まり、高校進学率が高まるにつれ、地方から上京してくる青年たちは「金の卵」と呼ばれるようになり、これまでのような人手のやりくりがむずかしくなってきました。加えてモータリゼーション化で道路を走る車の数も増え、渋滞に巻き込まれることが多くなって、仕事の効率も悪くなっていきました。

お見合いをビジネス化し、全国仲人連合会を立ち上げる

昭和四十年代は、高度成長期であると同時に、日本の人々の生活スタイルも、結婚に対する考え方も大きな変化を遂げた時代です。恋愛結婚の比率がお見合い結婚を上回るようになったのもそのころでした。
当時父の周辺には、叔父をはじめとして、年頃となった教え子の写真をたくさん預かっていた元学校長や、政財界の方がいました。
現在もまだ残っていますが、当時のお見合いは近所の方や親戚のボランティアで行われていて、成功すれば謝礼という形でお礼金をはらうというのが一般的でした。仲人役をしていた人たちの家に、写真館で高いお金をはらって撮影した大きなお見合い写真が積まれているのを見て、父はこれらの写真を小さくし、情報を小冊子に掲載してみんなに情報がゆきわたるようにすればいいのではないだろうかと思い付きました。時代を読みとり、新たなアイディアを得ると、それをすぐに実行に移すのが父の性格です。余裕を残したままクリーニング業には見切りをつけ、「相手を自由に選べる時代だからこそ、明るい良心的な結婚相談所が必要」という考えに、政財界や、元皇族の方など多方面からの賛同を得て、結婚相談所を組織化する事業に乗りだしました。クリーニング業時代に各家庭を回る際、「うちの息子(娘)に誰か良い人がいないかしら」とたびたび相談を受けていたこと、父自身、自分の会社の従業員の仲人をすることが多かったことも、この仕事は、いずれ世の人々に求められるようになると感じるきっかけになったようです。
もちろん親戚縁者はこぞって反対しました。そんなものに値段をつけるのはおかしい、うまくいったときはまだいいが、何かがあってその縁談が壊れてしまったら実も蓋もないじゃないかと言うのです。でも、少々へそ曲がりなところがある父は、人がやらないことを常にやろうとしていましたから、逆にビジネスチャンスだと捉え、誰もやらないなら自分がやってやろうと思ったようです。まだ結婚相談所といった概念がまったくなかった昭和四十五年、父が四十五歳のときのことでした。

元校長先生たちを仲間に、持っていた情報をデータ化し、最初は「全国結婚相談所連合会」という名前で立ち上げ、その後「全国仲人連合会」と改名しました。
改名した理由は、そのころ「結婚相談所」の名をかたって詐欺を働いた人が新聞に掲載され、その肩書きが「某結婚相談所所長」となっているのを見て、読んだ人はうちの会と関係あると思うかもしれないという危倶を父が抱いたからです。でも、「結婚相談所」ではなく「仲人」という言葉を社名に使えば、「某仲人」という表現はしませんから混同されることはありません。

お見合いの世界は平等

現在の全国仲人連合会の基本的なシステムは、ほとんどこの時期にできあがりました。けれども、まだまだお見合いはボランティアという風潮が強かった時代に、全国一律の料金を徹底させることが、最初のうちはたいへんだったようです。当時は基本料金ではなく、基準料金というのを設けて、仲人さんの裁量にある程度はまかせなくては、地域によって慣習が違うこともあって仲人さんのなり手がありませんでした。しばらくはその方法でやっていたものの、連合会を名乗る以上、料金を一律にしなくては会員さんにとっても平等ではありません。そこで、二十年くらい前にきっちりと「基本料金」を設け、守れない仲人さんにはお辞めいただくという少々厳しい規定を設けました。

父は平等ということにこだわった人でした。お見合いをして結婚するという意味では、財産がある人でもない人でも、たどる道はまったくいっしょです。逆にいえば、平等という概念は実杜会ではなかなか見当たりませんが、私どもの会では貧富の差は関係なく、全国どこでも老若男女を問わない統一料金なのです。たとえ財産がない家に産まれた人でも、勉強して努力し、大学を卒業してきちんとした会社に入れば、ここでは評価され、相手に選ばれる確率も高くなります。
努力してきた人が選ばれるわけですから、チャンスは平等です。
仲人さんに対しても同じことが言えます。この仕事は年齢制限がありません。男女の差もありませんし、特別な技術も必要ありません。とかく年齢の若い人が有利になりがちな仕事が多いなかで、年齢の高さを経験の多さとして評価され、尊重される数少ない仕事と言えるのではないでしようか。

旅行好きから生まれた「グリーン車コース」

※現在「グリーン車コース」はありません。

大卒の男性を希望する女性のための「グリーン車コース」は、無類の旅行好きだった父が新幹線からヒントを得て作ったものです。「結婚という目的地に着くのが早くなるわけではない。時間は同じだけど、ただ着くまでのシートのサイズが違うだけなんだ」とよく言っていました。
父は大阪や名古屋で会議があるときには、私や兄を伴って行くことも多かったのですが、そのときには必ず「横に座るな、後ろに座れ」と言って私たちを横に座らせませんでした。隣に知らない人が座って、その人と話すのが楽しみなのです。横に人が座るとすぐに名刺を出してあいさつし、到着するまでその方との会話を楽しんでいました。
海外にも身軽に一人で行くことも多く、私に社長職を譲って会長になってからは「姿が見えないな」と思っていると、「今、中国にいる」と突然電話をかけてきて驚いたこともたびたびあります。戦時中は大連にいましたから、片言の中国語だけで会話を通じさせていたようです。しかも、海外へ旅行するときもいっさい宿泊先の予約を入れず、着いてから自分で交渉して気が向いたホテルに泊まっていました。「大丈夫、大丈夫」と言うのですが、あまりにも連絡がなく、そのままどこかで野垂れ死にしているんじゃないかと思ったことは、一度や二度ではありません。予定を決めずに気ままにあちこちを歩き回るのが好きだったのです。
国内もひんぱんに旅行していましたから、すぐにどこかに行けるよう、駅に近い立地に住むことを好みました。しかも「鍵一つで戸締まりできる」ということで、マンションが好きでした。ですから父の時代には、東京・大井町からすぐのマンション五部屋を連合会の総本部としていました。会員さんにしてみれば訪れた場所はマンションの一室にすぎませんから、本部に見えず「ここがほんとうに総本部なんですか?」とよく聞かれたものです。父はクリーニング業を経営していたときに、たくさんの不動産を持っていたものの、事業を整理するときに全部売ってしまっていた経験から、「あんなもの(不動産)は持っていても仕方ないよ」とよく言っていたものです。
晩年、足を患っていた父のために、マンションの一室を父の部屋とし、本部まで自分の足ですぐ行けるようにしていたのですが、父が亡くなった年に、言座の建物を取引先の銀行が譲ってくださることになり、全面的にリニューアルして、総本部は平成十二年末に引っ越しました。

大手の参入をきっかけに起こった“分裂”

父は新しいものが大好きでした。コンピュータがまだ普及していないころは、手作業でファイリングをしていましたが、その方法も工夫し「この方法が機械化されれば便利になるよ」とよく言っていました。理論的には、同じことをやっていたわけです。
そんな父ですから、日本にオフィスコンピュータが入ってきたときに、ずいぶん値段は高かったのですが、真っ先に取り入れました。当時はまだまだ情報処理も遅く、検索するにしても現在よりはるかに時間がかかりました。私も父といっしょにデータをインプットしたのを手伝った記憶があります。でも、コンピュータ化してからは、手作業より検索がずっと容易になり、業績もアツプしました。

けれども一方で、コンピュータを使った結婚情報型の大型産業が参人しはじめたのもそのころです。システムは私どもとは違うのですが、“結婚”を目的とするところは同じですから、一般の人には同じに見えます。加えて、大きな企業は資本がありますから、宣伝力があります。私どもの支部も東京から名古屋、大阪へと広がっていき、そのころには千五百を超えるようになっていましたが、大手の参入に危機感も持っていました。そこで入会金を下げるなど、大手に対抗する手段をとったのですが、これが裏目に出て一部の仲人さんが分派することになってしまいました。分派した仲人さんたちは別会社を作って「仲人連合会」という名をつけたのですが、これは類似商標ですからすぐに弁護士を通じて差し止めてもらいました。その後、別の名前で活動していらしたようですが、いつのまにか消滅してしまいました。
父はそういうときも強気でしたが、やはりこたえたのだと思います。その時に一気に白髪が増えました。でも、このときも「裏切るよりは、裏切られたほうがいい」と言っていて、これは父の持論でもありました。
大手が参入してきたのは悪いことばかりではありません。お見合いがビジネスとして一般的に広く認知され、それに対してお金を払うことに対しての抵抗感をなくしたわけですから、ある意味ではありがたかったのです。私自身、小学校のころ「お父さんは何の仕事をしているの?」と聞かれて、当時は説明するのがたいへんで、めんどうくさいと「情報サービス」と答えていたくらいです。今、私の子どもたちは学校で同じことを聞かれても「結婚相談所」と答えれば、それで通じます。
長い期間事業を続けていれば、良いこともあれば悪いこともあります。分裂した後はお陰さまで順調に業績は伸びていますが、一度こういう形でつまずいたことは、そこで学んだことも多く、長い目で見ると良かったと思います。

家族総出で手伝っていた仕事

私には年が離れた兄と姉がいます。兄はコンピュータが得意でしたし、姉もタイプライターの時代から手伝うなど、家族総出で手伝っていました。私も運転手役や写真撮影など、学校時代からいろいろなことをやらされました。そうやっていろいろ経験させるときには、父は決して途中で助けません。たとえば、高校生くらいのときに「会議場を確保してこい」と言われ、交渉して確約をとってきたことがあります。ところが、父にそれを報告すると「どうして手付金を置いてこなかったのだ!」と怒るのです。「口約束だけではだめだ、お金を渡さなければ権利が派生しないだろう!」というのです。そこですぐに先方に改めて出向き、お金を渡してこなくてはなりませんでした。学生時代にはたいへんだと感じていましたが、そのときの経験が、今いろいろな形で役立っています。
父が考えていたことは、常に二十年くらい先をいっていたような気がします。インターネットについても、何年も前にその理論について話し、普及を予見していました。兄に、「これからぜったい鍼灸師が増えるから、免許をとれ」と言ったのも父で、兄はその言葉にしたがって、鍼灸師の免許をとりました。コンピュータ好きの兄に、彼の免許を生かして、たとえば胃が痛いときにはどこにお灸をすえたらいいのか、どこにツボがあるのかといったソフトを作れとも言っていました。実際、二十年後の現在、そういったソフトがすでに作られ、販売されているそうです。時には、先を見すぎて変わり者と思われていた節もありました。でも、私はたまに父が言っていたことを現在にあてはめて行動してみるとぴったりくるということを何度も経験してきました。常にいろいろな発想が頭をめぐっていた人だと、今になってつくづく思います。

百年続く仕事でなくては、意味がない

私自身は、父が四十歳のときの子どもだったため、若いお父さんにあこがれて早くに結婚をしました。あまり深く考えずにした結婚でしたが、万一結婚せずに父が亡くなったら、私一人でいろいろなことを抱えることになり、たいへんだったと思います。家族というのはいちばん気を許せる空気みたいなものですが、やはりお金では買えない貴重な存在だと思います。
父のあとを継いで社長となったのは八年前。後を継ぐというのは、父にとって自分がやってきたことを息子が認めたと感じたようで、ずいぶん喜んでくれました。私に息子が産まれたときもたいそうな喜びようでした。自分の名を継ぐ息子のところに息子が生まれたというのは、男にとってある種の達成感があるのかもしれません。「息子と孫は違う」と言って、ペット用のひもを買ってきて私の息子につけ、近くのデパートに毎日のように連れていって遊ばせていたので、そのデパートで父のことを知らない人はいないくらいでした。

父は昔から「やるからには、百年続く仕事にしなくては意味がない」とよく言っていました。結局、父が考えたコンセプト、やり方が、多少形は変えても三十五年後の現在も生きていますし、まったく古びていません。孫の代までできること、親から子、子から孫へと続いても変わらないものを伝え願っていくという点では、父も、ここを訪れる会員さんの親御さんたちも共通のものを持っているのだと思います。

父の話を楽しみにしていた仲人さんたち

仲人さんたちからも、父は絶大な人気がありました。話し好きでしたから、その話を楽しみに定例会に出席なさっていた仲人さんもたくさんいらっしゃいます。集っているメンバーの雰囲気を読み取って、くだけた話から高尚な話まで臨機応変に水を飲みのみ話します。会が長くなり、そろそろみなさんが退屈したころに父が話すと、場を和らげ、会を盛り上げることができました。
今でも時々仲人さんたちから「そういえば、会長はこう言っていたわね」という声がたびたび聞かれ、父の言葉は仲人さんたちの中に生きているんだなあと感じることがあります。
いろいろなことに興味を持ち、先見の明があった父は、四十五歳でこの仕事を始めてからは寄り道せずにこの道一筋でした。弁護士をめざしていたときの実体験から、「弁護士の仕事は結局和解させてしまうから、どちらにも痛みが残ってあまり感謝されることはない。でも、結婚相談所は決まればみんなに喜ばれる仕事で、『寿』と書かれたお金をいただくことができる仕事というのはめったにないんだよ」とよく言っていました。その言葉は、父なりの経験から感じ取ってきたもので、そうした気持ちが原動力になって、連合会を業界最大規模の組織に成長させたのだと思います。
父は平成十二年に七十六歳で充実した生涯を終え、その年の五月に三十年以上にわたる功績に対し、紺綬褒章をいただきました。

名店から老舗へ

私どもの会は、仲人というある意味では“古い”システムを中心に、これまで運営してきました。三十五年間そのシステムは基本的には変わっていません。経営についても、バブル景気のときも変わらなければ、現在の不況でもまったく同じです。新しいものをどんどん取り入れて手を広げていくという方法もあるでしょうが、私自身は変わらないものを長く続けていくというこれまでの方法でいいと思っています。
システムは変わらないものの、最近少し変化が見られるのは会員さんたちの志向です。バブル時代は、みんな都会志向で農家を希望する人は皆無でした。ところが、最近は田舎のほうがいい、自給自足の生活がしたいという人もポツポツと表れています。また、雑談のときに会杜勤めをしている男性に、「どこまで出世したいですか?」と聞くと「課長がいいところかな。それ以上の管理職になると逆にたいへんだし」と答える人が多くなりました。昔は、サラリーマンでしたら役員が最終ゴールだったのでしょうが、今の人たちは「定年までいることができたら御の字」というほどです。
そうなると、昔よりもより家庭生活を充実させたいと願う人も増えてきたと言えるでしょう。昔は、会社の部下を自宅に連れてくるというご主人もたくさんいましたが、今はそんなことはほとんどないそうです。また、会社側も社員の家族のための芋掘り大会など、家族向けのイベントを行っていましたが、それも少なくなりました。父が何十年も前から言っていた「少子化、核家族化」が本格化し、家族と過ごす時間が増えてきているだけに、伴侶を見つけるのに皆さん慎重になってきていると言えるでしょう。慎重になりすぎたためか、独身のほうが気楽に思われるのか、パートナーを見つけて自分の子孫をつくる人が少なくなっているのは、今や国を挙げての問題となりつつあります。そんな時代に、私どもの会のような存在は、今後ますます必要とされるのではないでしょうか。

ゆくゆく私たちがぶつかる問題は、国際結婚だと思います。父はよく「国際結婚は、相手が日本では探せないから外国で探すというマイナス志向ではなく、言葉や文化をクリアした人たち同土のもっと高いレベルで行うべきものだ」と言っていました。確かに、ポジティブな国際結婚で二つの文化を持った子どもたちが増えていけば、戦争も減っていくかもしれません。現在は、会員の条件に「日本国籍を有する人(永住権も含む)」としていますが、いずれ直面しなくてはならない問題だと考えています。

今、携帯での出会い系サイトや、コンピュータでマッチングした相手とお見合いするシステムなど、間に人を介さないやり方が多いなかで、私どもの会員さんが増え続けているというのは、「少子化」の流れを背景に、古き良き風習を残した新しい形の仲人さんを認めてくださっている方が増えているのだと思います。
「仲人」を使った言葉に「仲人口」「仲人七嘘」などがありますが、いずれも仲人が縁談をまとめるためにほどよくとりなしていう言葉で、当てにならないことを表しています。けれども、私どもの会において、仲人さんは真実を告げる人であり、会員さんが本音で相談できる相手であり、迷っている方の肩をポンと押してあげる人です。
父が三十五年前に「百年続く」よう作ったシステムを保ちつつ、会員さんたちの信用をさらに重ねていくことによって、仲人についてのこういったことわざが、いつしか辞書から消えてなくなる日が来ることが私の夢です。

※現在では、国籍で入会をお断りすることはありません。

あとがき

あとがき

「おまえも三十歳になったんだから、そろそろ会社経営を経験して勉強してみろ」。
そう父が言って私が全国仲人連合会の社長業を嗣いだのは、九年前です。それまでも書生として、物心ついたときからずっと父について手伝ってきました。しかし、父としては自分がまだ元気なうちに、会社経営について側についていろいろ教えたかったのだと思います。
それから父が亡くなるまで五年でしたから、まさに経営についてのノウハウを教わるのに遅すぎず早すぎない時期であり、先を見通すことに長けていた父らしいタイミングだったと思います。現在でも、むずかしい場面に直面したときなどは、「父だったらどうするかな」と考えている自分に気づくことがあります。創業者が亡くなったあとに、急にガタガタと崩れてしまった会社の話を時々聞きますが、曲がりなりにも何とかここまでやってこられたのも、創業者だった父の志が、現在も私のなかに生きているからだと思います。

少子高齢化が問題になっている現在、充実した家庭の必要性はだれもが感じているところです。年齢がいくつであろうが、どんな環境のひとであろうが、結婚の機械は誰にでも等しく与えられていると思います。結婚して安心して子どもを育てられる環境を整えることはもちろんのこと、今後は何らかの理由で配偶者と別れてしまった高齢者のパートナー選びもますます必要とされていくことでしょう。
一方で、仲人さんの仕事というのは、社会の第一線を退いた高齢者の方々の知識や経験を生かせる仕事です。そういう意味で、結婚相談所は、父が設立した三十五年前よりも、現在のほうがより世の中に必要とされていると感じています。

本書のなかで、「仲人さんは結婚に至るまでの医者のようもの」だと申し上げました。昨今では医者の意見もさまざまということから、セカンドオピニオンの必要性が叫ばれています。けれども、私どもは「セカンドオピニオンは必要ない」と、自信を持って言い切れる結婚相談所に今後もしていきたいと思っています。
全国仲人連合会が設立してから三十五年が過ぎましたが、「百年間続く仕事でなくては意味がない」と父が言った期限まで、まだ六十五年もあります。今後も仲介者に徹して、「結婚したい」と考えている人たちの願いを一つでも多くかなえていくことで、さらに信用を積み重ね、会員さんたちの喜びの声を、本書の第二弾、第三弾で改めて御紹介することができればうれしいです。


平成十五年(二00三年)十月

全国仲人連合会
代表 宮原 祐輔


※以上の文章は、『全国仲人連合会 良縁-その先の人生を見つめて』平成十五年(二〇〇三年)十月発行された書籍からの引用です。
著者である、全国仲人連合会(全仲連) 代表 宮原祐輔氏の了解を得て掲載しています。
記載内容が当時と違っている部分があります。
最新内容は必ず全国仲人連合会の公式サイトでご確認ください。

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